2017/08/26
こんにちは、かしこ です。
先日、子供とファミレスに行きましたところ、隣の席で中学生?高校生?の女の子2人が勉強をしてるのを目にしました。
2人に特に会話は無く、黙々と勉強に励んでおりました。
勉学に励む事は、とても素晴らしい光景なのかもしれません。一般的には。
しかし、僕は、せっかくの日曜日なんだし、自分の好きな事をやればいいじゃん、と思って見ていました。
女の子二人にはきっと、近々テストか受験があるのでしょう。
ものすごい頑張りが、伝わってきました。
でも、僕は思うのです。
今頑張った事は、テストが終わったら忘れてしまうのだろうと・・・。
しかし、日本の教育システム上、テストの点数さえ良ければ、ある程度の高校、大学に行ける事を考えれば、ある意味合理的かもしれません。
失敗の許されないテストで、少しでも多く点数を取るためには、詰め込み学習をせざるを得ないのでしょう。
ただ、学校でも通常に授業が行われているはずなのに、休みの日まで勉強しなければいけないのでしょうか?
これは、休みの日まで教育されているに他なりません。
まるで洗脳でもされているかのように・・・。
ファミレスで見た女の子二人にも、勉強以外の時間の過ごし方があったのではないでしょか?
どうせ、直ぐに忘れてしまう学校の教育・勉強。
仮に忘れなかったとしても、社会で殆ど役に立たない。
本当に無駄だと思います。
ここからは、私の愚痴・・・いえいえ、学校教育が無駄だと思う理由をお話しします。
お付き合いください。
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1.テストのために勉強している
いうまでもありません。
学生は皆、テストのために勉強しています。
将来、銀行員になった時に、連立方程式が必要だから、勉強している!
なんて人はいません。
というか、銀行員にそんな知識必要ないですし。
みんな、将来が見えないから、とりあえずテストのために勉強しています。
きっと、テストで良い点を採る事が、将来を豊かにする方法だと思い込まされているんです。
決してそんな事は無いのに。
2.知識の殆どが社会で役に立たない
先程も少し話しましたが、学校で習った事の半分以上が社会で役に立ちません。
将来プログラマーになりたい人が、古文を習ったところで意味が無いですよね?
それに、勉強とは、何か目的があった上で学ぶから、知識として定着するんです。
将来何に使うかも分からない知識を蓄えたところでまったく意味がありません。
音楽の授業だってそうです。
やりたい人だけがやれば良いんです。
でも、なぜか全員に同じ教育を施すんです。
意味がわかりません。
社会に出てから困らないように勉強している!と言った人がいました。
でも、困ってから勉強すればいいのではないかと、私は思います。
必要になってから勉強する、それでいいじゃないですか。
将来使うかも分からない知識を蓄える事は無駄に他ならないのです。
3.目標(夢)が描けなくなる
日本の教育には矛盾があります。
それは、学校教育において、全員に同じ教育をさんざん受けさせた挙句に、社会に出てからはそれぞれ目標を持ちましょう、というのです。
社会においては、人と違う目標や夢が美化される傾向にあるようです。
社会に出て初めて、個々が重要視されるのです。
でも、全員同じ教育を受けさせられたわけですから、いきなり夢を描け、目標を掲げろ、と言われても、方法が分かるはずがありません。
分かりやすく言えば、操り人形の糸が切れた状態です。
大学卒業後、無事就職できたものの、会社でどう頑張って良いかが分からないのです。
こんな話があります。
小学校で、生徒全員に 将来の夢 を書かせたそうです。
そうしたところ、10割の生徒が 職業 を答えたのです。
先生は、一切 なりたい職業を書け とは言っていないのに。
警察官、弁護士、消防士 などなど。
いかにも親が喜びそうな回答だったそうです。
たしかに、それらの職業は、義務教育を真面目に受けていればなれるかもしれません。
きっと、その生徒たちの洗脳は既に始まっていたのでしょう。
義務教育の先にしか夢を描く事ができない、なんてちょっと寂しいですね。
まとめ
いかがだったでしょうか。
義務教育を無駄だと思う理由がご理解いただけたでしょうか?
とはいえ、私自身その義務教育を受けてきました。
なので、自分の本当の夢に気付くまで、少々時間がかかりました。
義務教育を全否定するわけではありません。
それが、楽しい!と思えたなら勉強に没頭すれば良いのです。
どうか、自分の人生を、義務なんかに縛られず、自由に生きて欲しいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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